ロックオンが帰ってきた。 エラー 四年間消息不明となっていたスメラギ・李・ノリエガと共に現れたその優男を、コードネーム:ロックオン・ストラトスであるとハロが認識してしまったのも無理はない。ハロの主な機能はMSパイロットのサポートやメンテナンス・記録であり、固体の識別は拙い視聴覚センサーから得られるお粗末な情報のみで行われている。寧ろ最低限のCB構成員の個体情報しか入らない記憶デバイスから、よくぞ四年前のデータと照合して特定個人の外見上の特徴の近似を認識できたと誉めるべきなのだ。 だから、新たにインプットされたロックオン・ストラトスの個体情報を読み込み、改めて四年前のデータと照合してハロは不審に思った。血液型は合致するが、個人特定の上で重要な指紋や虹彩が合わない。彼はロックオン・ストラトスである筈なのに四年前とは別人なのである。誰かが成りすましているのか。しかし、CBの構成員は皆彼をロックオンと呼ぶ。親コンピュータから転送されたデータであるから、彼が別人であることによもや誰も気付いていないわけはあるまい。 混乱したハロは、一先ず長い付き合いであるフェルト・グレイスに彼が別人であることを訴えた。フェルトは驚くこともなく静かな声でそうよと答え、少し古びてきた聴覚センサーは囁くような声をノイズ混じりに捉えた。 「彼は、ロックオンの弟……おとうと、なの」 噛み締めるように言うフェルトは、どこか寂しそうであった。 弟の意味は分かる。ハロにも兄弟機は沢山いる。しかし、彼らはそれぞれ個体名がついており、皆一様に総称たるハロの名を呼ばれるもののカラーなどで識別はされている。ところが、ロックオン・ストラトスはロックオン・ストラトスというコードネームをそのまま与えられ、まるで四年前のロックオン・ストラトスと同様の扱いでデュナメスの後継機に乗り込んでいる。 AIが認知する限りの言語パターンに多少の違いが見られることが唯一彼を彼と混同しない方法だろうか。それにしても声紋まで精密に調べないと違いが見られないのだから恐ろしい。元よりハロの聴覚センサーは頗る低機能である。 初陣を切ってから、新しいロックオン・ストラトスはハロと共にケルディムに乗り込んでのシミュレート・ミッションをしょっちゅう行っていた。数値は四年前に比べれば明らかに劣っており、彼が身体能力は高いものの射撃を専門にしているわけではないと判断できた。命中率が上がればそれだけ喜び、上手くいかないと悔しげに顔を歪める。四年前のロックオン・ストラトスと同じく、表情豊かな男である。 同時に、ハロは外部からの接続をモニターしていた。アクセス元はトレミー内であるので守秘義務に関する事項では特に問題ないが、如何せんIPが気になる。 CB・オペレーター:フェルト・グレイス。 ギガバイトで表すことすら馬鹿馬鹿しく思えるような親コンピュータに内蔵された細かい接続履歴を洗っていけば、或いはさらに詳しい情報も得られただろうが、単純な記憶デバイスは人並みの記憶力で四年前のフェルト・グレイスのIPの任務外の接続履歴を掻い摘んで把握していたので、ハロはその手間をかけることなくフェルト・グレイスがロックオン・ストラトスの行動を時折盗み見していることを知っていた。行動の真意は始めこそ図りかねたものの、会話機能に伴うAIに予め刷り込まれている思考パターンと照らし合わせ、それが恋愛感情であるという結論に至るにそれほどかからなかった。 だから、てっきり、あんなことを言ってしまった。 機械の分際で「てっきり」などと気の良いことだが、AIの選択する会話はイコールでハロの言葉であり、幾つもの会話パターンから一つの言葉に絞るのはランダムに近い作業である。ハロはただ、ロックオンの問いに答えてあげただけなのだ。 「フェルト・ロックオン・スキ!」 フェルトが少し鋭くハロの名を呼んだのも、AIの判断する範囲内で言えば照れ隠しに大差なく、その後に何かの流れでロックオンがフェルトにキスしたのもさしたる問題と思えなかった。惹かれる者同士がキスをする。少なくとも、ハロのAIはそれを人として自然な行為であると判断した。 だから、フェルトが唐突にロックオンの頬をぴしゃりと打った音が響いたとき、ハロは生意気にも心臓が飛び上がらんばかりに驚いたのである。心臓などどこにもないが、ガタが現れ始めた視聴覚センサーにぶれが混じり、ハロのAIは状況把握に勤しんでボディの熱を上げたのは紛れもない事実だった。 フェルトが走って逃げていく。涙を見せていた。キスを嫌がったに違いない。凄まじい情報処理に苛まれたAIはエラーだらけの情報から辛うじて処理可能域から演算を繰り出して言語パターンから最適なものを弾き出す。 「フラレタ・フラレタ!」 「分からせたんだよ」 ロックオン・ストラトスが苛立たしげに言う。ハロは再び思考パターンのストックを失って行き場もなく解析不能の情報の処理を進める。一つエラーが現れると芋づる形式に幾つものエラーが浮き彫りになり、他の機能に影響を及ぼし始める。視覚センサーの映像が三秒ごとに固まり始める。ロックオン・ストラトスは普段よりも歩調を数パーセント速め、ハロを構わずに歩いていく。 「比べられたら、たまんないだろ」 不機嫌さを隠そうともしないその言葉に、ハロは処理に右往左往していたAIをとうとう一度停止させた。これ以上の情報処理は機動効率を著しく低下させる多数のエラーを引き起こすだけである。錯綜して三割り増しに解読不能になった情報を無理矢理まとめて圧縮して親コンピュータに押し付けがましく転送し、新たなロックオンの発言をAIに入力する。 比べられたら。何と、誰と比べるのか。一秒かからずハロ内臓のそろばんは小数第一位を切り捨て、九十六パーセントの確率でトレミー内の人物であると判断。絞り込みの末の最有力候補は――四年前のロックオン・ストラトス。 彼の、兄。 喧しい機動音を立ててハロのAIが親コンピュータの情報検索を開始する。全ての端末から拾える限りの情報を集め、組み立てる。コクピットの中にどこか嬉しそうに収まる痩躯。ガンダムマイスター:ティエリア・アーデとの相性は頗る悪く、その様子をモニターするIPアドレスは予想通り。ハロを叩いたり放ったりとボールのように扱う。彼の兄は犬か猫を扱うように撫でることが多かったのに。比べる。比べる? 誰と。兄と。弟と。 レンズを覗くのをふとやめ、彼は四年前と同じ顔で言った。――兄さんは、こういうとき、何て言うんだ? 兄さんも何も、ハロにはほぼ判別不可だ。彼はケルディムガンダムのパイロット:ロックオン・ストラトスであり、ロックオン・ストラトスは狙撃の前に決まったことを言う。コードネームに則って彼も行動するのではないか。しかし、彼はロックオンであって、ロックオンではない。 理解、できない。 AIにはままあることであった。先ほど親コンピュータに押し付けた滅茶苦茶なデータが良い例で、AIが理解できる範囲には限界がある。感情の機微はパターン化できず、人は他の個体と同様の思考を持たない。こういうときは仕方ないので言葉を返さないことになっている。 だが、このときのハロはどうしようもなくもどかしさを感じた。初期値では予想されない経験値からのエラーをいちいち処理するのが気持ち悪い。一介のロボットが抱え切れぬものを、古びた球体に包まれたハロのAIは時折弾き出す。 沸き起こるエラーを叩き潰しつつ、ハロは床を跳ねてロックオンの後を追った。 |