つくりもの


軌道エレベーターがゆっくりと降下していくにつれ、重力がじわじわと腕や腰を苛む。地球という質量の持つ絶対的な引力を前にして、ちっぽけな身体に選択権はないのだ。空間を泳いでいた筈の髪は下方に垂れ始め、フェルトの身体はシートにぴったりと吸いつけられた。落ち着かなさに身じろぎしてシートと身体に隙間を作るが、既にそこは果てしない万有引力の磁界の範囲にすっぽりと包まれていて、やはり落ち着きがないのであった。
逃れるように喉を反らして肩をほぐし、気晴らしに分厚い強化ガラスを見遣ると、隣のシートに身を預ける青年も同じように窓を見遣っているのが見えた。さらさらの髪は重力が加わったところでどうという変化は見せないが、地上を厭う彼にとってこうした慢性的な重力は鬱陶しいものに違いなかった。
何もティエリアは重力が嫌いなわけではないのだ、とフェルトは最近気付いている。こんな取るに足らない重力を嫌がっていて、爆発的な重力に耐えることを強いられるガンダムマイスターになどなれはしない。ティエリアは、もっと、本質的に、地球のことが嫌いらしかった。
白い首筋の、薄っすらと汗ばんでいるのを見て、珍しいことだと思った。薄い瞼を閉じ、ティエリアは緩やかに還元していく体重をひたすら受け入れている。否、ティエリアにとっての体重は、地上で量るものではないかもしれない。今彼が受けているのは決して返ってくるものではなくて、彼の生まれにすれば不当な重みなのだ。
窓からは地上の景色が一望できた。ビルが所狭しと立ち並び、丁度夕日を受けて輝いている。端末で到着地点の時刻を確認すると、日の入りが近いらしいと分かる。宇宙の闇に身を委ねている間、時間の感覚はあってもそれは太陽に直結せず、久しぶりに目にする日の入りは平凡な美しさをビルの背に映して見せていた。
(どうして、あんなにきれいに作るのだろう)
あんな高いところで何を映すつもりなのか、ビルの窓は映るものを全て反射するように作られている。周囲のビルの影から、遠くを飛ぶ飛行機から、果てには地上のこまごまとした風景まで、夕日の膜に覆われた景色をフェルトは高層ビルに見出した。


一つの高層ビル。窓ガラスが爆ぜ、至るところが煙を上げ、美しい直線は崩れて欠片になっていく。地に吸い込まれるように倒壊する瓦礫の狭間から逃げ惑う影の忙しない動きは、音声を伴わない筈の映像に確かな悲鳴を与えていた。
いつか、ティエリアが見ていたデータだった。ソレスタルビーイングが活動をする遥か前からこういうことがあったのだと、彼は薄いレンズに映像の光を反射させてフェルトに教えた。彼は勉強熱心で、フェルトはティエリアのそういうところを好ましく感じつつも、一方で不安を抱いていた。人の脳では受け止めきれないに違いない情報量を毎日のように浴びて、彼は人としての輪郭を少しずつ失っていく気がしてならなかった。
彼が言うには、爆薬を計算に則って設置すれば、たったの数秒で安全に崩すことが可能である、ということだった。本来の用途から外れた方向に使われる爆薬に、彼は静かに憤ったけれど、フェルトは眼鏡で瞳の色を隠すティエリアから目を逸らして、別のことを考えていた。僅かな爆薬で簡単になかったことになってしまう。崩れたビルが再び一人で立ち直ることはない。人工物とは斯くも脆いのである。
フェルトが目にしているあのビルは、映像のそれと少し似ている。


到着予定時刻まで、0030を切った。フェルトは身を起こして、ティエリアと、ティエリア越しのいよいよ遠ざかるビルとを見つめた。慣れないながらも確かに自分のものだと感じられる重力は完全に戻っている。ティエリアは目を閉じたまま微動だにしない。
瞼を下ろしたティエリアの顔は、本当にきれいだった。つくりもののようにきれいだ、という言葉はここで使うのだろうと思う。例えば、スメラギのことを美しい女性だと思うこととは違うのだ。実際、ティエリアはフェルトの記憶の中で一度としてその美しさを崩したことがなかった。微笑んでも、取り乱しても、疲れても、彼はいつも同じ美しさを持ったまま、老いを知ることもなくそこにいた。
夕日は沈もうとしている。ビルが鈍く鮮やかに橙を映した。建てられてからどれくらい経つのか分からないビルは、これまでもこれからもきっと変わらずきれいなままで夕日を映し続けるだろう。使われ方を誤った爆薬に崩されない限り。
(あやうい、)
咄嗟に手を伸ばして、ティエリアの片頬を手の平で覆った。ティエリアの瞼が痙攣し、薄っすらと開く。僅かな隙間から覗く赤い瞳も不意に故意にはめられたもののように思えて、フェルトは身を乗り出した。
「……フェルト?」
ティエリアの声は掠れていて、そこでやっとフェルトは安堵した。髪を掻きあげ、指の腹で僅かに滲んだ汗を拭ってやる。決してつくりものではない。
「どうかしたのか」
ティエリアはフェルトの手を拒まない。触れられることを嫌っていた記憶の中の彼は存在しない。往々にしてティエリアはフェルトに甘いところがあるらしく、フェルトも大人しくそれに身を委ねる。
「……具合、悪くない?」
汗、かいているよ、と、そっと笑みながら囁くと、ティエリアはやっと目をしっかりと開き、軽く咳払いをして喉を整えてから答えた。
「平気だ。久しぶりの地上で、少し疲れているだけだ」
「そう。ならよかった」
そっと手の平を離した。ティエリアの皮膚は滑らかで、汗をかいていてもやはりどこかつくりものめいているのだった。温さだけがティエリアを生き物たらしめている。逃したくない一心でフェルトは手の平を握りこみ、ティエリアの熱を閉じ込めた。


(こわれてしまったら、もうもどれないかもしれない)







ティエリアさんの何が死亡フラグに見えるのかちょっと考えてみたの巻でした。
時間軸は空白の四年です。何故か地上に降りることになってるティエリアとフェルトです。フェルトにはティエリアのことよく見ていてほしいなあ!
正直資料見ずに書いたので色々と矛盾点があるかもしれません。しかしその手の資料に目を通す勇気は実のところない。
09/01/02