かなしい花弁


急いで食べるな、という忠告も虚しく玩具のような右手の握るスプーンはあっという間に薄茶や白の混じる山を描き分けては口に運んでいく。パフェが食べたいとリクエストしたのは勿論ミレイナで、財布を出すのは勿論刹那だ。給料の上手な使い道を知らない刹那にとって取るに足らない出費であるけれど、イアンからの子守り代も少しは有り難く受け取っておくべきだっただろうかと今更考える、その目の前でパフェの山は着々と機械的に切り崩されていく。
屋外テラスのパラソルの下で今日のミレイナは酷く機嫌を良かった。普段と変わらないと言われればそれまでだけれど、少しの間同じ船の中で過ごすようになって彼女でも何となくしぼむ瞬間があることを見出すようになっていた刹那には、彼女の浮足立った心の切れ端がパステルカラーになって周りに浮いているのがよく見えるのだった。(何より、船に来た頃ミレイナの姿に度肝を抜かれていた刹那に彼女についてのそういった様々をそっと耳打ちしたのはティエリアだった)
――アーデさんはときどき連れて行ってくれたですよ? グレイスさんも一緒にお出かけしたです。
何に動揺したのだろう。久しぶりに彼女の唇の端にティエリアの名前が引っかかったことだろうか。それとも、想像する他ないティエリアの姿にだろうか。フェルトの手が空いていないこともあって断る理由を思いつけずにとうとう了承してしまったことを少なからず後悔している。自分は来るべきでなかった。
雲が薄暗く広がる曇り空に色とりどりの風船が飛び交い、行楽地は幸せな子供と大人の声で満ち溢れている。そうしてそういった景色とミレイナのワンピースから伸びる白い肌は境目が見えない。対して砂漠の赤錆色の輪郭をまだ保ち続けている自分は居た堪れない。
「セイエイさんも一口どうぞ! おいしいです!」
クリームとアイスとその他素敵な何もかも、を乗せたスプーンが刹那に差し出される。スプーンの冷たい銀色でさえもミレイナの白い手のひらに溶け込んで、けれどそういったところとつながってしまうことを許さないと記憶が呻く音が喉の奥で響いた。(ミレイナも刹那の側の人間である筈なのに、彼女はやはり刹那にはどこか敬遠したくなる色を持っている)
甘いのは苦手だ、と無難な理由をつけて辞退すると、ミレイナは少し不満そうに唇を尖らせて、じゃあセイエイさんの分もミレイナがおいしいって思うことにするです! と差しだしたスプーンをUターンさせてぱくりと呑み込んだ。イアン・ヴァスティはつくづく不思議な大人だ。どうやってこの生き物をこんな風に育てたのだろう。この歳の自分は何をしていたのか、あまり思い出したくない。
「ミレイナ・ヴァスティ、」
「はい?」
「口元にクリームがついている」
「えっ」
慌ててふっくらとした指が唇を探り、刹那が自分の口元で位置を示してやると「ありがとうです」と少し恥ずかしそうに口ごもりながらティッシュで拭った。
「めずらしいです」
再びパフェを頬張りながら、コップに水滴を一つ落とすようにミレイナが言った。
「セイエイさんが、そんなこと言ってくれるの」
パラソルの影でも一定の輝きを保つ瞳が、丸みを帯びて刹那を見つめた。刹那はミレイナに見つめられるのが苦手だった。光が上乗せされていて、奥がちっとも見えないのだ。
他意はなかった。フェルトやティエリアならば注意するかもしれない、と思ったから、口を開いたに過ぎなかった。この空気への馴染み方をどうしたって刹那は憶えられないし、たとえ可能だったとしても喉の奥で心臓の近くを締め付ける呻きが許しはしない。
「セイエイさん、たのしいですか?」
無邪気な光の下に何を隠しているのだろう。どんな獣がいたとして、驚くにはもう遅い。間違いないことはミレイナがソレスタル・ビーイングの一員であることだけだ。
「ああ」
水を含んで少し湿った唇は、本当の嘘はつけない。


「……ミレイナ・ヴァスティ、」
かなしい花弁に似ている。大きな風は細かなことに頓着しないから、平気で開いたばかりの欠片をもぎ取ってあっという間に隠してしまう。自分だって小さいことに変わりはないわけだから、隠されるのを茫然と見上げて待つのだ。あの白い名残が刹那の顔の前で一度くるりと笑ってから空の色に紛れてしまったのはいつのことだろう。砂漠に花は咲かないから、ソレスタル・ビーイングに入った後だろうか。角を曲がるたびにあちこちにワンピースの裾のレースが翻って、ミレイナは幼い手のひらを振り回して刹那を導く。けれど、右にも左にも上にも下にもその細い肘から先は伸びているから、一体どこに行けば本物のミレイナを捕まえることができるのか分からない。
「ミレイナ、どっちだ、」
振り返らなくとも途方に暮れた自分の顔を見つけることができた。ミラーハウスとはよくできたもので、天井も壁も迫っているのにまるで近さを感じない。地面も天井も失われて、浅黒い肌は厳しい白さに覆われた鏡の中で馴染めそうにない。吐き出されたくて仕方がないけれど、刹那はあの少女の他に置いてここの抜け方を知らない。
「ミレイナ、」
目を離してはいけなかった。一応刹那は目付役としてミレイナと地上を踏んでいるのだ。何かが起こらない確率はどこにいても平等であるわけがないことを知っていながら、たくさんの自分の戸惑いに囲まれて不安が広がる。自分を見つめ返すことはこんなに怖いことだっただろうか。ミレイナはどうして笑っているのだろう。
「こっちですよう、セイエイさん」
声と共にたくさんのミレイナがもう一度笑って、瞬く間に角に隠される。それを、小さな刹那は茫然と見上げて待っている。







混ぜるな危険。でした。
刹那を遊園地に置いてみたかったという。
10/04/02