冬空の温もり 山から吹き降ろされる風に異国の民である印の灰色の髪が揺れる。黒のぴったりした不思議な服に包まれた背中が、寒さを感じない動きで石段に腰を下ろした。いつも身にまとっている羽織は見当たらず、すると途端にその黒い後姿が本当に彼であるのかおぼろげに思えてきて、私はそっと白く嘆息する。 また風が吹いてきた。頬をよぎる冷たさに、首周りの襟巻きを寄せる。ふかふかと手触りの良いそれは、お姫様役を演じるときの私の名にちなんだ色をしていた。 即ち、空色。 風の音が遠ざかったのを確かめた私は、いつものように空を見上げた。冬の気配がそこはかとなく敷き詰められた青空は目に沁みるように蒼く、時折瞬きもしていられないほどの速さで千切れた雲が流れて行った。今朝は殊の外風が強い。 ふと思いついて、数歩だけ進む。するともう目の前には、見慣れないのによく知る黒い背中がこぢんまりと座っていた。音も気配もせずに視覚のみの世界で彼は存在する。だから、私は両目を見開いて彼を見つめるのだ。 首に手をかけ、襟巻きをするりと抜いた。暖められていた分首筋がすうすうと寒い。思わず震える唇を噛み締め、私は彼の首周りに思い切って襟巻きをかけた。 唐突な行動に、彼は上を向いて私の顔を見た。足音や気配で私が近づいてきていることには気付いていたのだろうが、よもやこのような行動に出るとは思っていなかったのだろう。感情の起伏を表さない瞳には、珍しく驚きの色が浮かんでいる。その顔を見て何だか嬉しくなって、私は口角を上げて真上から彼の顔を覗きこむ。 おかしな具合に絡み合う視線の末に口火を切ったのは、珍しく彼だった。 「……あんた、風邪を引く」 開口一番それだから、まったくもって彼の職務遂行意識には感服してしまう。呆れを通り越して苦笑しながら、私は丁寧に彼の首に襟巻きを巻いていく。 「ヒカゲさんだって寒いでしょ」 だんだん驚きの色が薄れてきた彼の目は、少し眉を寄せながらも真っ直ぐ私を見上げて、呟くように言う。 「ヒカゲ」 「ああ、ヒカゲ」 彼はどうして、頑なに名の呼び捨てを強制するのだろう。長い付き合いの中で、私達は何度このやり取りをしてきたのだろう。この頃はどちらが先に折れるか、意地の張り合いになっているような気もする。 「――俺は風邪を引かないけど、あんたは風邪を引く」 確かに、彼は身体が頑丈そうだし、滅多に風邪など引かないだろう。対して私は、頑丈とは言え彼と並ぶほどではない。長時間寒い中にいたら風邪を拾ってしまうだろうし、そうしたら困るのは彼の他にもたくさんいる。 でも、寒さを感じていないような動きの中に私は何かを感じたから、今このようにしているのだ。 「私はこれくらい平気だよ」 言って、彼の髪の毛に浅く触れる。固い毛は癖を持ち、様々な方向に跳ねている。ちくちくと冷たいそれを味わうようにゆっくりと手を這わせる。 「それにね、」 襟巻きの下の冷えた彼の首筋に、私はそのまま手を滑らせた。指の腹の下で血管の流れを感じ取り、私は安堵する。生きている。ちゃんと生きている。 「何だかこうしたくなっちゃっただけ」 冷たい指先が、彼の温度と溶け合っていく。暫く黙って私の顔を見つめていた彼は、ゆるりと右手を上げて、私の髪をくしゃりと撫でた。私が首を押さえているので、動こうにも動けないのだ。小さな優越感と指先から伝わる安心感で、私はますます微笑んだ。 彼の頬に薄っすらと赤みが差す。私の髪をゆっくりと梳く手は私の手のように冷えていて、それでも温かみを感じた。 彼の唇が動く。 「じゃあ、あと六十数えるまで、このまま」 |