ピロートーク 「ドタチンって受けだよねえ」 喉の奥でコーラの炭酸が炸裂し、鼻孔にまで響いた。咽ながら振り向きざまに睨みつけると、ブランケットにくるまりながら緩む口元を隠そうともしない狩沢は頬杖をついて門田の目線を受け流していた。シーツに緩やかなしわを描くしなやかな両腕は白く眩しく、ブランケットが忠実に辿る細い背中を結わいていない髪が思いの外長く流れている。 整った顔立ちに薄く寄り添う疲労は艶めかしい気だるさを伴って事後の作り出す空気を視覚的に煽るが、そういったものを狩沢はわざと壊したがる風潮にある。頬杖の間に沈む乳房の陰にちらりと目線を這わせながら門田は漸く落ち着いてきた呼吸の中で考える。炭酸が喉に絡み付いて何だか苛々する。 「お前ブッ殺すぞ」 低い声で囁くと、狩沢は酷く嬉しそうに笑った。 「そういうところが受けっぽいんだよねドタチン。可愛がりたくなる」 ふざけるな、と心中で呟く。女に可愛がられる趣味はないし、男に可愛がられるなど以ての外である。このような話題を振りかけてくる狩沢の意図も図りかねる。 コーラのふたをきゅうとしめて小型冷蔵庫に放り込み、門田は狩沢のすぐ隣にどっかりと腰を下ろした。ベッドのスプリングが鳴いて沈む。昼下がりの緩い日差しがカーテンの隙間からちらちらと覗いては雑多な部屋を舐めていくのが、兎に角だるくて仕方ない。何より、昼間から自分は何をしているのだろうと今更のように考えて少々落胆を覚えた。溜息をつく門田の脇で狩沢が頬杖を崩してシーツに頬をつけた。決して同化してしまわない白さに、狩沢は日に焼けない女なのだ、と門田は思う。黒衣で皮膚という皮膚を太陽から庇って、ブランケットに包まって漫画ばかり読んでいるからだ。 「うーん、だとしたら攻めは誰かなあ、渡草さんかなあ。……あ、でも意表を突いてゆまっちとか結構いいかも。ゆまっちなんだかんだで美形だしね〜」 力の抜けた指が門田の太腿に空気に触れるように這わされ、思わずその甲を抓った。本当にこの女は何を考えているのだろう。その少しあからさまな体温に少なからず動揺する。 「よくねえよ!」 「え〜そうかにゃ〜?」 「かにゃ〜じゃねえ!」 怒る門田に、へへへ、とわざとらしい下卑た声で狩沢は笑い、抓られていない方の手で門田の脇腹をさらりと撫で上げた。途端に走り抜ける痒さに背筋が震えて呻く。みっともないので口外することはないけれど、脇腹はあまり得意な方ではない。勿論狩沢にもこの女々しい事実を言った覚えはない。けれどこの女はそういったことを気取るのがいちいち達者で、そのたびに門田は密かにこめかみに脂汗を滲ませているのである。 「あはっ、かーわいーいー、ドタチン!」 狩沢が起き上がって門田の脇腹を狙い始めた。ブランケットがするすると流れ落ち、何も身につけていない細い身体が晒される。服の上から見る以上に刺激的な肉付きに先ほどまでさんざん見ていたにも拘らず躊躇したのが運の尽きで、狩沢の容赦のない十本のきれいな指は門田の脇腹を正確に捉えた。 「ぅあっ、やめろアホ!」 「あははははよいではないかよいではないか!!」 調子に乗った狩沢に絶妙な強さで擦られるたびに肌の粟立ちは全身に伝染していき、何とかその華奢な肩を掴んで引き倒したときには一戦交えた後のように息が切れていた。情けない限りだが、こうしたことで狩沢に勝てた覚えがない。女と見ると身を引いてしまうからだろうか。狩沢は、どんなに腐ったことをのたまっていても、抱き合える女なのである。 無造作に仰向けに転がされた狩沢は、少しだけ呆然とした顔をして門田を見つめた。単なる装いであることくらい心得ているけれど、そこに含まれている彼女の意思を門田はやはり上手く拾えていないでいた。誘惑と揶揄の間で緩く開いた唇が浅く呼吸を繰り返している。丁度胸から腹にかけてカーテンの漏らした日が切り裂くように渡り、最も近い記憶が刺激されてその腹の奥で思考が淀んでいく。 門田が意図的に眼の色を変えた途端、狩沢は呆然とした顔を崩した。狩沢の希望など知るものか。唇に噛み付いてしまいさえすれば、狩沢が拒否を表したことは一度もない。そのまま首筋を舐めると肩甲骨を掴まれる。頭上で鼻から抜けるどろどろに甘い声が漏れ始め、つくづく門田は呆れ返ってしまう。女という生き物は得てして不可解過ぎる。例えば、遊馬崎も狩沢も二次元に魂を売っているという点では相違ないけれど、遊馬崎は恐らく二次元のために童貞を貫くに違いないし、狩沢はこうして三次元においての他愛無い情事を矛盾なくこなしているのである。 「かわいい声で鳴く癖になァ」 耳の外郭を噛みながら色を息にのせると、「ふぁ、」と見え透いた声と共に狩沢が大きく顔を逸らす。容易いものだと思う。そうして両手で狩沢のあらゆる生々しさを彩る線を辿っていると、不意に狩沢の肩甲骨を鷲掴みしていた指が喉仏を押さえた。まなじりを火照らせて悩ましげなしわを眉間に歪ませ、けれどその下で上がる口角の形に門田は戦慄した。この、笑い方は、 「かわいい声で、鳴いてるのは、ドタチンもだよ」 狩沢の親指の腹が、喉を伝い落ちる汗を緩やかに拭う振りをして喉仏を圧迫する。浅い呼吸が徐々に落ち着いていき、狩沢の瞳の内包する理性が光る。或いは狂気か。 「はぁ?」 「それに、出してるときの顔。たまんないねえ、やっぱりドタチンは受けだね。おいしい妄想ネタを毎度毎度どうもって感じ」 続けながら狩沢が肘を使って上体を起こし、顔を寄せて固まる門田の唇を緩慢に舐めた。近付いてくる髪から汗とシャンプーの混じる甘ったるい女の匂いが沸いてきて、門田はますます恐ろしさに動けなくなる。衝撃的な告白を受けた気がするが、脳が追いつけない。つまり、この女は、理性を飛ばして喘いでいる内側で、門田の浅ましさを丹念に観察し倒して、あまつさえ二次元に変換しすらしているというのか。そのための好意なのか。 下半身に着々と溜まっていった筈の熱が蒼褪めて解けていく。ブランケットのない裸の背中が何とも寒々しく、何かを言おうとする唇ががくがくと震える。自分は先ほどの情事でどんな姿で何を言ったかがまったく思い出せないこと、そしてそれら目の前の女は確実に記憶している事実が限りなく恐ろしい。 「お前、は、」 「うん?」 「そういう目的で、」 「は? 何言ってんのドタチン」 近い顔が動物のように擦り寄ってきて、門田の背中に伝う冷たい汗を水気の多い手の平が引き伸ばす。胸板に押し付けられた確かすぎる感触に怯えると、狩沢は随分と近いところからにやにやと門田を見上げて笑った。 「好きだからこんなことさせてるに決まってんじゃん。第一妄想ネタにするなら、ゆまっちの方が何倍もおいしいし?」 何せハーフな美形だもんねー、と目を細めて狩沢は肩を揺らした。安堵して良いのかどうか判断のつかないまま門田は再度狩沢をシーツに押し付け、長く溜息をつく。どうしてこうも曖昧でいられるのだろう。狩沢の好きの言葉の中には一体何種類の感情や思考が混じり合って互いを食い散らそうとしているのだろうか。それでいてまた欲を覚え始めている自分も情けない。いい加減腹立たしくなって、門田は乱暴に吐き捨てた。 「じゃあ、遊馬崎にでも抱いてもらえ」 勿論冗談のつもりだったし、予想し得る狩沢は揶揄の言葉を笑い混じりに並べてふざけていた。これでこの詮無い応酬は終わりにして、仕切り直そうと思っていた。昼下がりの日影に埋もれて、あらゆる思考がただ面倒だった。 「絶対無理だよ」 同じ高さの声の筈なのに、それは鋭く空気を切り裂いた。肌の白さのどこに鬱血を作ってやろうかと彷徨わせていた目線がぴたりと止まる。狩沢の目を見つめ返せない。何のつもりだろう。疑問がふりだしに戻り、狩沢は門田の事情に構ったことは一度もない。 「ゆまっちは、絶対に、私を抱かないよ」 そうした予言じみた言葉を紡いだその唇を漸く塞ぐことができたのは、そこから随分と多くの嬌声がこぼれてからだった。 |