付き合い始めて一週間。
妄想が入り乱れて錯乱した結果の幻想を見ているのではないかと思うほど信じられないという思いが徐々に引き、ようやく現状に身が馴染んで欲張りになる頃合。


歩み寄る


銀線を張り詰めたようにきりきりと頬を打つ寒さはまだ始まったばかりだ。冷気から逃げるようにマフラーに顔を埋めながら、篠岡千代は気温に合わせて温度が下がる一方の手に吐息を吹きかけた。温もりが指の背にじんわりと広がり、湿り気と前以上の肌寒さを残して溶けるようになくなる。こっそり手を磨り合わせて再度息で暖めつつ、隣を歩いている高い肩に恨みがましい目線を送った。しかし彼は超能力者でもなく第六感も人並み以下に持ち合わせていないため、そんな刺々しい視線を送り込んだところで振り返りもしなければ気付くことなどないのだ。
溜息をつくのはどうだろう、と思って、すぐに打ち消す。まだ、付き合い始めてちょっとしか経ってないのに、こんなことで喧嘩したくない。付き合い始め、というのはつまりはちょっとしたことで別れてもおかしくない期間なのだ。どこからどこまでという明確な線を張っていないその場所を彷徨っているうちは、慎重に行動しないといけない。
だって、嘘みたいなことだけど、わたしと阿部くんが付き合っているのは本当だから。
阿部の手はコートのポケットにぞんざいに突っ込まれたままだ。肩から提げた鞄が歩くリズムに合わせて規則的に跳ねる様子を見ながら、千代は阿部側の手を手持ち無沙汰にぶらぶらとさせた。冷たい風が指の隙間を通り抜ける。
握ってくれてもいいのに。
心の中で呟いた言葉に唐突に恥ずかしくなって、ぶらぶらさせた手を握り締め、マフラーに緩んだ口を押し付けた。別に阿部に聞こえたわけでもないのに、恥ずかしさを誤魔化すために咳払いをする。顔は赤くなってないだろうか。握りこんだ拳の内側から冷えが滲み出る。
「あー、えっと、」
機会を見計らうように、慎重に阿部が切り出した。歩調はそのままで、千代は軽く阿部の方に顔を傾ける。阿部は千代の方を見ないで、少し迷うように瞳を動かしながら空を見上げていた。目尻がぼんやりと赤い。
「その、」
千代と付き合うようになってから、阿部は特に言葉をよく選ぶようになった。一週間の間にぎくしゃくしながらも恐る恐る聞いたところによると、異性と付き合うのはこれが初めてだとか。気を遣わせてしまっているという後ろめたさと気を遣ってくれているという嬉しさに挟まれながら、千代は今日も阿部が自分のために選りすぐった言葉を待つ。
一歩踏み出すごとに歩幅が狭くなっていき、やがて、止まりかける。千代はそれに合わせて歩調を緩め、ゆっくりと阿部に向き直る。空を仰いでいた阿部の顔がそれに合わせて徐々に降りてきて、少し目を逸らしながらポケットに突っ込んだ手をもぞりと動かす。

「寒いし……手、繋がねぇ?」

言って、グローブによく慣れている大きな手が、空気を掴んだまま揺れていた千代の手を掬い上げるように包んだ。外気を遮断して内側に侵入する温かみに、千代の背中を何かが駆け抜ける。
暖かさに安心する手を少し動かして、包まれた形から繋ぐ形まで持っていく。恥ずかしいから恋人繋ぎのようなことはできないが、それでも、もしかしたらこれが意図的に阿部に触れる初めてかもしれないと思うと、一刻も早く手を振り解きたいような、噛み締めて後味がなるべく残るようにしたいような、何とも複雑な思いに絡め取られた。
「……行こう」
阿部に手を引かれて、「うん」と子供のように頷きながら歩き出す。阿部の表情を見てみたいと思うのに、先ほどから少し逸らされている。
手を繋いでいる分、前以上に歩調に気をつけなければならない。離れていると歩き難いから、近づく。肩の辺りが擦れて、慌てて離れる。離れた分を補うように、咄嗟に互いに握り合う。どれ一つとっても、まったくもって心臓に悪い。
早く終わってほしいけれど、永遠に続いてほしい。矛盾した二つの思いが共鳴して溶け合い、繋がり合った手を中心に二人に広がっていく。


その日、結局別れるまで寒ささえも意識できなかった。









千代ちゃん視点が一番書き易いですが、
阿部くん視点で書いたら凄く楽しいんだろうなあと、
しみじみ思った話でした。

07/11/20