「阿部くんてさ、いつも遠慮してる?」 ファーストキス 合わせた唇の名残がまだ残っている間に、千代が呟いた。近すぎて逆によく見えない相手の表情を読み取りながら、阿部は訝って聞く。 「は? 何が遠慮?」 今しがた、部屋に二人きりなどという分かりやすい状況の下、遠慮なく千代に抱き着いてキスをしていたところである。右腕を千代の腰回りに絡ませて引き寄せ、左の手を髪の隙間に滑り込ませて、これの何を遠慮と言うのだろうか。 「だってさあ、」 阿部の腕の中で千代がもぞりと動き、阿部の頬を両手で挟んで少し距離を取る。ものを言うのに居心地の悪い近さであるのは、千代も同じであるようだ。 「何か、こう……がつがつ来ないっていうか、予想よりも控えめな感じがする」 「何、がつがつ来てほしいの?」 「そういうんじゃなくて……うーんとねえ」 千代が少し顎を仰け反らせて考え始める。顎の動きに連動して、阿部は左手を頭から首筋まで下げた。多少離してもまだ近い顔が、どこか楽しそうに悩む。 「分かった」 千代がにっこりと笑った。阿部は心持ち身を引いた。こういうときの千代には気を付けた方が良いことは、千代の彼氏になってから気付いた。 「阿部くん、ファーストキスっていつ?」 ほらきた。突拍子もない質問。これは答えるべきなのかそうでないのか。千代の愉快そうな顔が少しむかつく。 「別にいつだっていいじゃん」 「わたしと最初にキスしたときでしょ、阿部くん」 答えずとも言い当てられてしまった。何だかばつが悪くて目線だけ逸らす。顔も逸らしたかったが、千代の両手は思いの外強かった。マネジ仕事で養った力なのか。 「何かねえ、手探りでしてる感じするよ阿部くん。経験ないからここまでしていいのかなあーって迷う感じ。時々可愛いとこあるよね、阿部くんって」 くすくすと千代が楽しそうに笑う。 確かにその通りなのである。阿部が女子と付き合うのは千代が初めてであり、勿論キスだって千代が初めてであり、したがってあれこれ全てにおいて阿部は手探り状態なのだ。失敗を恐れて深く入り込めない部分が多くあり、それを気取られないように上手く身を引く方法をいつの間にか身につけていた。かなり情けないと思う。 「……うっせぇな」 情けなさを何とか押し込めながら、阿部が言うと、 「あはは、怒った?」 千代はあっけらかんと笑っていた。つくづくこの女は強いと思う。そうでなければ一人だけでマネジ仕事をこなすことなどできないのだろう。最近思っているのだが、少し監督が移って来ているような気がする。 「……お前はどうなんだよ」 少し怒気を孕ませて聞く。自分だけが何だか未熟な気がして癪である。 「わたし?」 「篠岡はファーストキスいつなの」 千代が少しきょとんとした顔をする。それから吹き出す一歩手前のように顔を歪めた。 あ、オレとやったときが初めてじゃないのか、と直感する。 「気になるんだー」 「そりゃ気になるよ」 「いつだと思う?」 「オレより前」 いっそのことと即答すると、千代は満足げに頷いた。 「ご名答。幼稚園のときね」 「そんな前かよ!」 思わず突っ込むと、その反応に味をしめたらしい千代がさらにふざけた。 「小学校でも中学のときもやったかな?」 「誰と!?」 「ひみつー」 嘘なのか本当なのか判断がつかない。阿部は少し苛々する。自分よりも三ヶ月も遅く生まれて、且つあともっと遅く生まれていれば後輩になっていたかもしれない千代にこのように見下げられるのは、常々であるものの阿部としては悔しいところである。 そんな阿部を察したのか、千代がふっと微笑む。 「いいよ、阿部くん。がつがつ来ちゃっても。わたし怒んないよ」 少し離れていた顔が近づいてくる。軽く合わせるだけのキスをして、千代は人を食った顔で微笑む。 「何ソレ。許可制?」 思わず聞くと、 「うん、許可制」 良い笑顔が頷いた。 「……」 「阿部くん? どうし……わっ、」 ぐっと顔を引き寄せて、思い切り深く口付けてやった。余裕ぶっている同い年の少女の小憎らしい表情を崩そうと、阿部は躊躇いを残しつつも強く抱き寄せて圧し掛かる。手探りは手探りだが、今度こそは遠慮をしなかった。 かなりの時間が経ってから、やっと互いに顔を離した。息が荒い。少々やりすぎたか、唇がひりひりと痺れる。霞む視界で千代を見遣ると、浮かされたような表情が見返してきた。狙い通りの反応に心の中でガッツポーズを決め、阿部は笑う。 「どうすか、篠岡先輩」 わざとふざけた調子で言うと、ぼうっとしていた千代が唇の端を上げて同じように笑う。 「……上々。よくやった」 そこで二人同時に吹き出した。腕の中で細い身体が次から次へと込み上げる笑いに比例して震える。白い手が伸びてきて、阿部の頭をがしがしと撫でた。その動作もどこか監督らしい。 「もっかい、いい?」 必死に笑いを収めながら聞くと、調子を取り戻した千代がにっこりと危険な笑いを浮かべた。 「駄目、お預け!」 あくまで、上から目線の千代なのであった。 |