潮時


「毎日夕日を眺めるなんて、呆れた女だと思う? でもね、眺めないではいられないのよ。そういう風にできているの。ここはあたしが育った街で、これから育っていく街で、何が変わってもあの夕日だけは何にも言わずにあたし達を見ているの。見ているだけよ。だから、あたしも見つめ返すの。見つめ返すだけ」
コトネちゃんがあたしを見つめているのは分かっていたけれど、あたしは敢えて自分の横顔を純朴な瞳に晒し続けた。コトネちゃんの目は水晶に似てどこまでも透き通っていて、そうしてポケモンだけを見つめている。悩みはないけれど迷いもない。……酷く、羨ましい。頬の産毛がちりちりと燃えていく気がする。
「久しぶりにあいつを見たよ。男の子って育つのが早いっていうのは本当だけど嘘ね。あたしより背が低かった癖に見下ろしてきて、でも目つきはちっとも変わらないんだもの」
目を眇めると夕日はちかちかと睫毛に乗って、あたしは瞬きでそれらを弾く。正直なところずっと見つめているのは辛いし目に良くないから、25番道路で過ごす大半あたしは夕日の残骸がたぷたぷと揺すられている海に視線を投じている。でも、それだって、夕日を見ていることに変わりはないんじゃない? あたしが睫毛で弾いたものも、波間でちぎれているものも、コトネちゃんの帽子のつばに乗っているものも、全部あそこで派手な断末魔を上げている光の塊の子供達だ。
コトネちゃんは凄く困っているようだった。口を開けばはきはきとした物言いをする子を黙らせているというのはあたしに薄暗い愉快さをもたらした。いい加減意地が悪いし大人げないと自分でも思うけれど、あたしはあたしのエゴに従って生きることを肯定する生き物なので、もう少しだけコトネちゃんには振り回されてもらおうと思う。
「レッドはさ、きっとあんたみたいなのをずうっと待ってたのよ。あたしでもなければ他のジムリーダーでもなくて、グリーンですらなくてさ。あんな寒いところで、ずうっとずうっと。呆れた根性よね。チャンピオンになれる筈だわ。……だけどね、あいつは知らないのよ」
あたしは意地の悪い女の子だ。自分の見せ方も知っている。首を傾げて、初めてコトネちゃんを振り向いてみた。夕日にまぶされてぼやけた輪郭の内側で、あいつによく似た瞳が瞬きをする。あたしは密かに生唾を呑み込んだ。あたしがコトネちゃんに勝っていることは、スタイルと美貌と年齢と、それからレッドの記憶だけだ。これは戦闘だ。切り札は大切に握り締めて時にはちらつかせて、そうでもしないとあたしはコトネちゃんに負けてしまう。
「あたし達も、あいつがあんたを待ち続けていたように、あいつをずうっと待っていたの。あいつはたった一人を待っていたけど、あいつはその何倍もの人を待たせていたの」
コトネちゃんはやっぱり一言も口を出さなかった。賢明な判断だ。黙っていればあたしの敗北は確定する。ざざあ、と波が一度騒いで、嘘のように静まり返った。もうすぐ夕日が死んでいく。潮時だ。
あたしには意地がある。プライドだって高い。だから、死に様もできる限り選びたい。
「あんたに礼を言うわ。レッドを引きずり出してくれてありがとう……すっきり、した」
左目が熱かったから、あたしはふいと夕日に背中を向けて、転がり落ちた涙をコトネちゃんから庇った。いい女は易々と人に涙を見せないものなのだ。瞼に帯びた熱はじわじわと広がって鼻先を掠め、あたしはそれ以上言葉を続けるのはやめることにした。鼻声なんて、絶対聞かせてやるものか。
「こちらこそ……ありがとう、ございました」
背後でコトネちゃんが言った。随分と発音のはっきりした言葉だ。最後までなんて愛しい後輩なのだろう。無意識なのだろうか、華麗なるとどめである。ついでに墓標に花でも手向けてほしい。
あたしは右手をひらひらと振って、夕日とコトネちゃんと、三年間の何もかもに別れを告げた。あたしはこれから、夕日と一緒に一度死んで、明日、朝日と共に生まれ変わりにいくのだ。







25番道路には浪漫が詰まっている!!
10/08/01