進路相談 「意外ですわ」 厚みのある皿の上では、砂糖やスポンジ、クリームの切れ端が散っている。調度品に凝っている喫茶店の椅子はやわらかく、背筋を伸ばしていないと沈みこんでしまいそうだ。両手の内側で紅茶のそそがれたティーカップのぬくみを楽しみながら、亜久里はそっとレジーナを見つめた。レジーナはフォークの先で皿にこびりついたままのクリームをどうにかこそげとることに夢中だったけれど、亜久里の一言でむっと顔を上げる。唇の端にスポンジのかけらがついている。あとで注意してあげよう。 「あなたも悩むのですね」 亜久里が追いたてると、レジーナは「なによ」と頬を膨らませた。 「だって、わかんないんだもん」 フォークの先にわずかについたクリームをなめとり、レジーナはそのままフォークをくわえる。行儀が悪いと注意すべきなのか、けれど、今は彼女の言葉を引き出すことが大切だ。 「マナと六花はちっちゃい頃からずーっと一緒なのに、別々の高校に行くんだって。へんなの」 「おふたりとも、目指すものがありますものね」 「あたしはマナと一緒の高校がいい。それじゃダメなの?」 「いいんじゃないんですか」 そろそろ舌が痛くならないくらい冷めただろう。亜久里は両手に包んだ紅茶をゆっくりと飲むと、向かい側でフォークが唇から落ちて、「え、」レジーナの瞳の青い波が揺れる。 「ダメって言わないの?」 「レジーナ、わたくし、あなたより年下ですのよ」 レジーナの拍子ぬけた間抜けな顔がおかしくて、亜久里はくすくすと笑いながらカップを置いた。紅茶はまだ少し熱く、じんじんと舌を焼いたけれど、そんなことはおくびにも出さない。 「わたくしだって、高校のことなんてわからないもの。レジーナがいいと思う学校をそのプリントに書いて出せばいいと思いますわ」 口角を上げて、包みこむようなスマイルを決める。歳は亜久里が下だけれど、レジーナはまるで妹だった。ならば、亜久里は頼りになる優しい姉になってやろうではないか。演じるというのはなかなかどうして心が躍る。レジーナは目を丸くしていたが、俯いてそっとこぼした。 「将来何になりたいとか、聞かれたけど、よくわかんない。あたしはあたしなのに」 「そうですわね」 「今はわからないし、決めなくていいかな」 「ゆっくり考えればいいと思いますわ」 「そうよね……」 上手に相談に乗っている自分がどこか嬉しくて、胸が震えるようだった。亜久里とて、特殊な生まれを持つことを悩まないわけではなかったから、ほんとうの姉妹のように共有できることが嬉しかった。奔放で我が侭で、けれど人を愛する心をきちんともっているこの少女との絆を大切にあたためていきたいと心から感じて、亜久里はもう一度自分のカップを手にとった。まだ熱そうだ。 俯いていたレジーナが顔を上げ、おもむろに手をつけていなかった自分の紅茶を一息に煽った。(まだ、熱いのでは、)動揺する亜久里の目の前でカップの中身を空けたレジーナはナプキンでごしごしと口元をこすり(唇の端のスポンジのかけらもとれて)、勢いよく立ちあがって鞄と伝票を掴んだ。 「ありがと亜久里! すっきりした! あたし、マナと同じ高校にする!」 「レジーナ、お金はあとでわたくしが、」 「相談料よ。今日はあたしのおごり。これからあたしマナに会うから今日はバイバイ!」 まるで電気を流したようにレジーナの身体中がはじけていた。勢いに気押されるうちにそのまま行ってしまおうとする後ろ姿になんとか追いすがる亜久里が「お金は、」と尚も口に出そうとするのをレジーナが伝票を鼻先につきつけて押しとどめる。 「払うって言ってるでしょ。あとあんた、さっきからほっぺにクリームついてるわよ」 え、と思わず頬をさわると冷たくべたべたしたものが指先につく。慌ててナプキンでぬぐっている間にレジーナは颯爽とレジに小銭をぶちまけて消えていた。なんと天気の変わりやすい妹だ。ぬぐったナプキンを握り締めたまま、亜久里は椅子に沈みこんでしまう。あの調子の妹では、自分が姉になれる日など当分こないだろう。将来に不安しか抱けない。 カップの中で騒ぎに表面を揺らしていた紅茶が漸く冷めてきていたけれど、亜久里は暫くそのことにも気付かなかった。 |