抑制、睨み合い 固い指の骨が引き戸を叩く音と共に若く青い声が律儀な挨拶を飛ばすのには、いい加減慣れた。裸足の汗が床に吸い付くのを感じながらだらだらと引き戸を開ければ、頭髪の賑やかな二人がいるという光景も日常の一部である。 沖田総悟という男は全く読めない。呼吸をするように仕事をサボる癖に、神楽を連れ出して出掛けた日には必ず万事屋まで送っていく。遅くなれば詫びるし、小さな怪我でも逐一報告する。彼なりの予防線なのか、まだ手を出していないとでも主張しているのか。 今日も神楽はめかし込んで飛び出て行った。服も何も洒落たものは何一つ買い与えていないが、それでもいつもより長く鏡の前で念入りに髪を整え、特別に気に入りの服に身を包んで玄関を飛び出した姿は、彼女なりのお洒落である。沖田という恋人ができてから、神楽は、突然、そして当然のように身嗜みを心がけるようになった。 四つ続けてノックが響いた。帰ってきたのか。時計を見上げ、ソファに寝転んでいた銀時は眉を顰めた。いつの間にか短針が随分と十二の文字に近付いている。 「ごめんくださーい」 張りのある沖田の声が届き、また四つのノックが繰り返される。はいよはいよと気のない返事をしつつ銀時は玄関に向かい、がらがらと重い引き戸を開けた。 「すいやせん、旦那」 顔の前で角ばった手の平を立てる沖田が苦笑いをしていた。その肩口からこぼれている見慣れた桃色の髪が、玄関の照明を反射して白く光る。銀時が何かを言う前に沖田が身を捩って背中に負ぶった神楽を見せ、 「コイツ、帰りの電車で寝ちまいまして」 よっこいせと背負い直した。その拍子に神楽が唸る。幼い子供のような仕草。当たり前だ。事実として、神楽はどこまでも子供である。 「世話かけたな」 とりあえずと銀時が声をかけると、 「いやいや。玄関に置きますねィ」 軽い調子で沖田は言い、横を器用にすり抜けて玄関に滑り込む。家の中に背を向けてゆっくりとしゃがみ込み、沖田は実に緩やかな動作で神楽を降ろした。神楽の力ない腕がくたりと廊下に垂れる。重力に引かれるままに床に吸い寄せられる頭を沖田はごく自然な動作で受け止め、片手で小さな足から靴を脱がせる。銀時も近寄って神楽の身体を反対から支えると、沖田はまた妙に調子の良い声で「すいやせん」と言った。 「何、こんななるほどコイツはしゃいだの?」 人差し指の先で神楽の汗ばんだこめかみをぐりぐりと押すと、沖田は神楽の身体を支えたまま体勢を変えて玄関に座り直した。 「ちょいと、久しぶりに運動しやして」 神楽の靴を脱がせ終わった片手が、照れたようにさらさらの栗毛を掻く。未だに神楽から手を離さないのは、どのような意図だろうか。動向を窺いつつも、銀時は続ける。 「……運動って、お前ら、まさかまだ決闘ごっこやってんの? ご苦労なこったねえ、沖田くん」 神楽を挟んで銀時も玄関に座る。片方の眉を上げてにやっと笑うと、沖田も笑い返した。 「なかなか楽しいですぜアレぁ。夜兎と闘うのはやっぱり手応えが違いまさァ」 栗色の頭が屈んで、神楽の間抜けな寝顔を覗き込む。一端の恋人の動作に、銀時はどことなく居心地が悪くなった。掻き消すように銀時は聞く。 「コイツ本気で闘うのか? 沖田くん相手に遠慮とかしない?」 「しやせんね」 事も無げに沖田が言う。 「闘うときゃお互い真剣勝負でさァ。一瞬でも気を抜いたら終わりですぜ。コイツこの頃また強くなった気ィするんですが、気のせいですかねィ」 「気のせいだろ。何も変わっちゃいねーよコイツは」 玄関に座り込んできて、この男は一体いつまでここに居座るつもりなのか。ここはいっそのこと茶でも出して、暗に出て行けと示すべきなのか。銀時は一瞬台所まで行こうとまで思い、しかし神楽の身体を沖田が支えているのを見て思い留まる。 「そうご、」 不意に神楽が口を開いた。「何でィ」と夫婦のような受け応えをして沖田が神楽の顔を覗きこむ。髪飾りが緩く揺らめいて、沖田の方を向いた神楽の顔が沖田の顔と重なった。沖田は一瞬びくりと肩を震わせたが、結局突き放すこともせずに神楽からやめるまで待った。 まったくもって、見ていられない。銀時はわざと距離を取ってそっぽを向く。バカップルの睦み合いを凝視する趣味などない。 「ねむいアル……」 漸く離れた神楽はそこが万事屋で、隣に銀時がいることなど気付く間もなく沖田の胸にぐったりと寄りかかり、また寝息を立て始めた。沖田が溜め込んだ息を吐いた。 「……すいやせん、旦那」 「何で謝んの?」 銀時はわざと沖田を見ずに言う。もうとりあえず何でもいいから、この男に帰って欲しかった。嫉妬ではない。いい加減神楽に纏いつくこの男の空気に疲れたのだ。常日頃から神楽が纏わせるようになったこの男の気配が酷く濃密になるこの瞬間を、銀時は酷く嫌っているらしい。 帰って貰うには、神楽を回収してしまえばいいのだ。その単純なことにやっと気付いた銀時は神楽をわざと乱暴に担ぎ上げ、大股で押入れまで連れて行く。背中にぶつかる神楽の頭が何度か寝言を呟いた。よく聞き取れないそれは聞きたくもなかったから、中に神楽を適当に転がして襖を閉めるまで、銀時は耳を閉じていた。 元のように大股で戻ると、沖田は既に立ち上がって玄関を開けようとしていた。 「じゃあ、旦那、また、」 「沖田くん、」 黒い着流しの背中が自分よりも数倍男前であるに違いないのが悔しくて、あれだけ帰れと心中で呟いていたというのに、銀時は引き止める。何か言ってやらねばならないが、かけるべき言葉は一つも用意していなかった。 何も考えていない口は面白いように滑る。 「俺はアイツの親でもないしお前とどこ行こうが何しようが止める権利もないわけだけど、一応保護者でアイツのクソ強ェ親父に頼まれてるワケ」 「へい」 突然の饒舌にも臆した様子のない沖田を出し抜きたくて堪らない。銀時は沖田が訪問してから初めての笑みを作った。 「だから、避妊はちゃんとしろよ」 引き戸を開け始めていた沖田の手が一瞬止まる。恐る恐る振り返る目を精一杯見つめ返してやると、沖田も負けじと笑み返してきた。どこまでも癪に障る男だ。 「……心得ておきまさァ」 階段を一段一段降りていく音を尻目に、銀時は玄関の電気を消した。そろそろ就寝しないと明日に障る。 押入れの前を通過すると、確かな神楽の気配がした。服は着替えさせなかったが、良かっただろうか。薄く襖を開けて確かめると、かけた覚えのない布団に神楽はきちんと包まっていた。無意識に布団を手繰り寄せたのだろう。動物みたいな奴だ、と一人ごち、銀時は台所に向かう。何か温かいものでも呑んで、眠気を誘わねばならない。 沖田が神楽を連れて訪れる日、決まって銀時の寝つきが悪くなるのである。 |