おんなのにおいがする ツエルブが肩を上下に揺らしている。笑っているのだ。普段からへらへらとしているけれど、いつものそれとぴったり重ならずにダブって歪む影をナインはフレーム越しに認めた。腹の底を誰かにつかまれて揺さぶられているかのように、こらえることもできずにツエルブは笑い続けている。隣で大量のシーツを抱えて足元の覚束ないのは、ツエルブの拾ってきた捨て猫――三島リサだ。洗濯をすると言い出したものの、洗濯機もろくに使えずいきなり脱水を始めたので、結局ツエルブがつきっきりで世話をしている。猫だってここまでの邪魔はしない。 笑っているツエルブなんて呆れるほど何度も見ている筈なのに、初めて見るような気さえしてくるのは、その猫の仕業なのか。ナインと共にいるとき、軽口を叩いているとき、計画を練っているとき、ツエルブはこんな風には笑わなかったと思う。当然だ。ナインはツエルブを笑わせようとしたことなどなかったし、その必要もなかった。そうして今ツエルブは、ナインが笑わない代わりに一人で叩いていた軽口ではなく、三島リサそのものが可笑しくて笑っているのだった。 ナインとリサは抱えたシーツをソファーに置いて、ふたりで仲良くたたみだした。ツエルブひとりであれば、たとえ自分の身体よりも広いシーツだろうとあっという間にきれいにたためるというのに、三島リサが加わるだけで余計な手間も時間も増える。なのに、ツエルブは相変わらず肩を揺らして笑い、嫌な顔もせず――むしろ嬉しそうにリサの手助けをする。彼が笑うとき、目尻にあんなしわはあっただろうか。舌足らずなか細い声と、ツエルブの少年らしい甘く高い声がやわらかく交差している。 リサにたたんだものを所定の場所に置くように指示すると、ツエルブは太陽の香りのほかほかと湯気を立てるナインのシャツや下着を抱えて作業机に向かっているナインの元へやってきた。 「随分楽しそうだな」 「おや? やきもち?」 「本当にそう見えるのか」 「冗談だってば。……あのさ、とっておきのヒミツなんだけど、」 愉快な空気を引きずってツエルブが笑う。ナインの衣服を汚れていないところに置いて、机に腰を預けたツエルブがナインの顔を窺うように背をかがめた。午後の影がツエルブの笑いじわに色濃く滑りこむ。 「リサってさ、見た目よりおっぱいあるんだよ」 「はあ?」 「あいつニブいからさ、隣に立ったときにでも肘でつついてごらんよ。気付かないよ」 思わずツエルブを見上げると、細い肩がくつくつと揺れていた。(またその笑い方をする)猫を拾ってから、ツエルブは変わってしまった。今自分がどんな顔をしているのか、ナインは眼鏡のフレームを直しながら眉間に指をあてた。 「のんきなもんだな」 「試してみる価値あるって」 「誰が試すか、そもそも」 俺の趣味じゃない、と言いかけたところで、隣室からバタバタとものの崩れる音が響き、続いて気の抜けた高い声が届いた。ツエルブがどこか楽しそうに「おっ今度は何かな?」と一人ごちて舞うようにリサの元へ駆けてゆく。その足音さえも、聞き覚えのない気がした。 (ツエルブは、ああいうのが趣味なのか) ツエルブの趣味なんてろくに考えたことがなかった。自分も然りだ。今までのふたりの未来にはいなかった生き物だったのだ。計画は少しずつ狂いを見せ始めているのかもしれなかった。施設の子どもに似た目をしている、とツエルブは言った。ツエルブがそう言うのならばナインにもそんな風に見える。ナインとツエルブはふたりぼっちだ。 せっかくたたんだのに、またやり直しだよ。ツエルブの呆れた声に、リサのか細い謝罪の声がかぶって、やがてふたつの優しい笑い声に変わる。午後の営みに抱かれて、ひどく穏やかな心地でナインはふたつの声にそっと耳を澄ました。リサがたたんで干した自分の衣服から立ちのぼっているのは、太陽の香りではなく、かいだことのない母のにおいのようだった。 知らないものなどないと思っていたのに、リサは知らないものを連れてくる。それはひどく恐ろしく、また、あまいにおいをくすぶらせている、おんなと呼ばれるものだった。 |